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明帝 (南朝斉) : ミニ英和和英辞書
明帝 (南朝斉)[めいてい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence 
: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
南朝 : [なんちょう]
 (n) Southern Dynasty
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

明帝 (南朝斉) : ウィキペディア日本語版
明帝 (南朝斉)[めいてい]

明帝(めいてい)は、南朝(南斉)の第5代皇帝。姓は(らん)。高帝蕭道成の兄蕭道生の次男。
== 生涯 ==
幼い頃に両親を亡くし、叔父の蕭道成により育てられた。武帝の死後、蕭子良とともに若き皇帝蕭昭業を輔佐するが、やがて蕭子良が死去した頃から実権を握り、蕭昭業、代わって皇位に就けた蕭昭文を次々に廃位・殺害し、ついには自らが皇帝となった。在位中は皇室の権力の抑制策を採る一方で倹約を進め、地方からの進上も控えさせるなどの政策を行った。
有能だったが猜疑心が強い性格で、即位後に武帝の子孫を全員誅殺するなどの所業を重ねた。
晩年は重病にかかり、道教に没頭したり服装を全て紅くするなどの行動に出たが、病は癒えず、永泰元年(498年)に崩御した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「明帝 (南朝斉)」の詳細全文を読む




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